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“ヤンキー先生”参院選出馬を憂う [教育]

予想はしていたけど、「やっぱり……」という展開にちょっと幻滅。

“ヤンキー先生”こと義家弘介氏が参院選出馬。

母校の先輩でもあり、顔見知りでもあるから本来なら「政界でも頑張ってください」と言いたいところ。でも、素直に選挙活動を応援する気になれません。

北星余市高校の教師を辞する経緯については仕方ない部分が確かにありました。自身が注目を集めることによるやっかみや誹謗中傷が学校関係者の間にもあり、さらに全国を飛び回る講演活動に対しても「本来の教師としての仕事を全うしているのか?」という厳しい声も同様にあったのも事実です。

教師の間でも義家氏に批判的な立場と擁護する側に別れ、結局そういう状況に憂慮した氏が学校を去ったんですが、今回の場合は状況が違います。

就任した横浜市の教育委員も教育再生会議の室長も辞め、いずれも中途半端な時期に職を離れてしまったと言わざるを得ません。

まあ、教育再生会議の室長になった時点で、展開が読めていましたけどね。

ただ、教育を語る上で、教育問題に取り組むうえで義家氏の教師としてのキャリアはあまりに短い。それは本人も認めているところです。

個人的見解としては少なくとも今回の選挙はスルーし、現在の立場でもっと教育問題に取り組むべきだったような気がしてなりません。

きっと自民党の人に出馬を呼びかけられ、その熱に打たれちゃったんでしょう。もともと熱い人ですし、熱意を持った人にはそれに報いるような部分がある人。長所でもあるんですが、それを自民党の幹部に上手く利用されてしまったのかも。

ともあれ出馬が決まった今となっては後に引くわけにはいきません。

けど、当選(恐らく、確実でしょう)すれば今度は政治家で、今以上にパッシングされることは確実。

こんな後輩の心配をかき消すくらい、政治家として頑張ってくれればいいですが……。


お受験ってそんなにいいか? [教育]

少子化にもかかららず、中学受験をする子供の数は増えているそうです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070131-00000028-mai-soci

そんなに公立が嫌なんですかねぇ。正直、僕は幼稚園入試や小学校を入試、中学入試を含めた、いわゆる“お受験”というもの対して懐疑的な立場。少なくとも自分に子供がいたとしても是が非でも入れたいとは間違っても思いません。

受験をさせる親は、「子供に苦労をさせたくない」、「勝ち組の人生を歩んでほしいから」なんて言ってるけど、実際にはどうなんでしょうかね。私立学校に通う子供って昔に比べると、かなり増えていますし、全体的なレベルでいうなら質は低下しているんです。

現に日本の子供の学力低下は著しい限り。学力調査を行っている世界41ヶ国中、日本は2000年の時点で数学は1位でしたが、2003年には6位。読解力については8位→14位という結果です。

けど、その間もお受験をする子供の数は増えているのに反比例して学力は低下。学力格差が広がっているとの見方もありますが、それだけなら総合的な日本の子供の学力は下がっていません。

恐らく、10年後か20年後かは分かりませんが、お受験で私立学校に入っても勝ち組にはなれなかったということが証明されるはず。エリートコースを歩むためのチャンスは公立校よりも高いかもしれませんが、ただそれだけ。絶対ではありません。きっとお受験させる親たちが思っているよりはずっと低いはずです。

そんなアンチお受験の立場をとっている僕ですが、実はお受験経験者。小学生のころ、中学受験をしたことがあるんです。

もともと僕は体育こそ「5」だったけど、その他の教科は「2」と「3」ばかりっていうおバカな子供で、漢字の書き取りテストもクラス最低点。合格できずに夏休みに入っても何度も追試を受けさせられている生徒でした(当時は今と違って、それはそれはスマートな少年だったんです。笑)。

しかし、ウチの両親はそんな我が子の頭の悪さを心配するわけでもなく、野比のび太の母親のように口うるさく「勉強しろ」とは言われた記憶は今日に至るまでありません。ここ数年、会うたびに「痩せろ!」とは言われますが(苦笑)。

ただ、何も言われないから逆に子供である僕自身が「このままじゃヤバイかも」と思うようになっちゃったんです。それで親に「塾に行きたい」とつい口走ってしまったんです。もう今から21年も昔の話です。

でも、当時クラスの3分の2は塾通いをしていたはず。このとき埼玉に住んでいたので私立中学を目指している奴もチラホラおり、毎日塾通いなんて今もって考えられない日々を過ごしている同級生もいました。

とはいえ僕も入ったところも夏休みになると、「絶対合格!」なんて趣味の悪いハチマキを巻いたまま勉強合宿を実施するオーマイガッーな塾。たまたま家にあった新聞の折込チラシを見て、「ここでいいや」と思ったのが運のツキ。そこは「中学受験を目指すための塾」だったんです。

ところが、僕もウチの親も「公文に毛の生えた程度の塾」にしか思っていなかったもんだから大変。その塾に通うやつはやけに目が血走っている奴が多いし、テストの回数もやたらと多い。受験コース以外はなく、半ば強制的にお受験させられるハメになったわけです。

もちろんそんな調子なもんだから当初は塾に通う生徒60名ほどの中でも1~2を争うおバカさん。一時期は学力的な理由で退塾させられそうになったほどです。

けど、塾をクビになるスレスレのレベルでしばらく通っていると、学校の学力も急上昇。小学校6年にして初めてテストで100点取ることもできました。

で、そのまま塾はサボリながらも通い続け、結局半ば強制的に中学受験をさせられることに。ただし、地元の公立中学以外に通う気がなかったので、言ってみりゃ記念受験ってやつ。私立じゃありませんでしたが、県内にある国立大学付属の中学校を受けたんです。

そしたらミラクル炸裂でペーパーテストをなんと合格。が、国立大の付属中では受験者数が多い場合、試験をクリアした者の中からクジ引きで最終的な合格者を決める、原始的な「抽選制度」を実施しており、僕は見事にハズれ。

我ながらナイスなオチです(笑)。

でも、別に不満なんかは一切抱かず、むしろネタとして「コイツはオイシイ」と思ったくらい。まあ、その辺のひねくれ感があったからライターなんてヤクザな仕事をしているんでしょうけど。

だから、個人的にはお受験なんてどうでもいいんです。まあ、試験だって難問だらけのテストを解かして終わったら、「ハイ、それを紙飛行機にして飛ばしてください。長い距離を飛ばした人が合格です」なんて学力無視で生徒を選んだっていい。どうせなら頭のいい子供ではなく、おバカな子供をどんどん入れるべき。

所詮はお受験でいい学校入ったからって結局は自分次第。まあ、時代のトレンドっていうのもあるのでしょうがくだらないです。親は子供を私立に入れてうれしいんでしょうけど、入学してからが長いってことを忘れないで欲しいものです。

まっ、そのうち「受験は勝ち組、でも人生負け組」みたいな特集をやってみようと思うので楽しみにしていてください。幻想を打ち砕くようで申し訳ありませんが、実例は腐るほどあるので(笑)。


母校、北星余市で凱旋取材? [教育]

今年最後の大山場に突入し、ブログの更新も滞り気味。

北海道からは先週の土曜に戻ってきたんですが、取材や締切やらで気がつけば水曜になってました(笑)。

さて周囲からは「11日も北海道で取材だと? 旅行だろ! どうせススキノで遊びまくってたくせに」と揶揄されまくりの北海道取材。

まあ、否定はしません。だって地方取材は常に旅行気分ですし(笑)。

ただ、今回に限っていうと、執筆で宿にこもってたり、資料探しで図書館に行ってる時間が多かったですね。数えてみたら道内滞在中に書いた原稿の本数は約20本。しかも、その合間に取材したり、温泉に入ったり、飲みに行ったり(笑)。とにかく忙しかったわけです。

そんな中、最後に訪れたのがボクの母校、北星余市高校。週刊S誌の企画で、校長先生に取材してきたんです。

しかも、その校長っていうのが高校時代、お世話になった先生。北星余市には3年前にも同じ週刊S誌で、“ヤンキー先生”こと義家弘介氏の取材で協力してもらったんですが、プレッシャーは今回のほうが上だったかも。

相手はボクに文学を教えていた人物ですからね。

そんでもって取材のテーマが「大人になった元いじめられっ子」というもの。簡単に説明すると、「昔、いじめを受けたことのある人間はどういう大人になるのか? また、いじめられた体験がその後の人生や現在どういう風に影響しているのか?」ってことを長年教育の現場にいた方に聞こう、って内容なんです。

ちなみに現在、北星余市に通う生徒の約7割は不登校経験者。そのなかには過去にいじめを受けた生徒も少なくありません。ボクが学生のころも結構いましたが(当時はヤンキーも多かったですけどね)、比率的には今のほうが圧倒的に上のようです。

そういう事情もあって行われた今回の取材。ただ、テーマは真剣かつ慎重に扱わなければいけませんし、校長先生には「いや~、どんな記事になるか楽しみだね」なんて言われる始末。10代っぽい言葉で表現するならマジヤバイです(苦笑)。

文量は少ないですが、こんなに重圧がかかる原稿は久々。

う~ん、弱っちゃったなぁ。


いじめによる自殺がない国ニッポン? [教育]

文部科学省の発表によれば、過去7年間、この国にはいじめが原因で自殺した小中高生は1人もいないらしい。

もし、これが本当なら素晴らしいことだが、残念ながらそうではない。

実は、いじめによる自殺者が1人もいないと発表した過去7年、年間100人以上の小中高生が自殺している。じゃあ、彼らはなぜ自殺したのだろうか?

学生である以上、大人のように借金でクビが回らなくなったためでも会社にリストラされたわけでもない。マトモな神経で考えれば、多くがいじめで精神的に追い込まれて自殺したことは容易にわかるはず。しかし、統計上はゼロなのだ。

なぜ、このようなことがまかり通るのか?

これには学校や教育委員会の体制の問題によるところが大きい。

基本的に学校や教育委員会は極めて閉鎖的で、自分たちにとって都合の悪いことはまず公表しない。当然、いじめがあったとしても内々に処理しようとして教育委員会に報告しないし、仮に教育委員会に報告があったとしても職員は県の教育委員会や文科省には報告しない。つもり、学校や市町村教育委員会、都道府県教育委員会すべてがモミ消そうとするため、一番上の文科省に統計が集まったらあら不思議、いじめによる自殺者がゼロになにるのだ。

学校や教育委員会は責任の所在を自分のところにはしたがらないし、自分たちに責任があってもそれを認めることはない。要は責任転嫁ってやつである。だから、いじめで自殺したとしても「いじめ」という言葉を使わなかったり、マスコミに追及されるまで自分たちの非を認めない。

それでいて学校の教師は「責任を持て」と平気な顔して生徒に言ってくる。そんな無責任な教師が増えすぎている。しかも、タチが悪いことに学年主任や教頭、校長と責任あるポストに就いている者ほど無責任。滝川で現地取材した際も彼らの無責任&無能ぶりに心底ムカついたし、今回の福岡の件だってそうだ。

問題はあまりに山積みされており、何ひとつ解決されていない。

学校も教育委員会も文科省もいい加減、目を覚ましてほしいものである。


踏みにじられた少女の遺書[北海道滝川市小6児童自殺事件] [教育]

昨年、いじめを苦に自ら命を絶った少女の遺書が先日、遺族によって公表された。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061001-00000072-mai-soci(少女の遺書が公表されています)

なぜ、1年以上も経ってから公表されたか。それは少女の通う学校のある自治体の教育委員会が公表しなかったからだ。

しかも、教育委員会は「いじめの事実があったかどうかは確認できない」と言ってのけ、さらに波紋を呼んでいる。

当たり前である。

少女に自殺を決断させたのは、紛れもなく“いじめ”。亡くなった本人が言っているのに「確認できない」とはよく言えたものだ。

いじめとは、加害者がいじめた意識を持っているかどうかはまったく関係ない。要は、被害者がいじめを受けていると感じているかどうか。もし、いじめられていると思えば、それはいじめなのだ。

なぜ、こんなことが分からないのか?

実は、亡くなった少女が住んでいた北海道滝川市は、私の生まれ故郷でもある。育ったのは埼玉県のため、少女と同じ学校に通っていたわけではないが身近な問題に感じてならない。

少女が通っていた学校は生徒数が少なく、彼女の学年は1クラス、それも10数名しかいなかった。この小学校の生徒は全員同じ中学校に通うことになっており、仮に少女が生きていた場合、中学でもいじめが継続される可能性は高い。

子供にとっての世の中とは学校であり、ここでいじめに遭えば絶望な気持ちになるのも無理はない。ましてや滝川市は過疎の地域。わずか10数名しかいないことを考えると、少女の逃げ道はなかったのかもしれない。

しかし、学校側や滝川市教育委員会はいじめの事実を認めていない。閉鎖的な町ではあったが、まさかここまでひどいとは。滝川市の教育委員長は「遺書の中身は学級の中ではよくあること」と自殺した少女が悪いと言わんばかりのコメント。よくもまあ、こんな人間が教育委員長を務めているものだ。

きっと、事なかれ主義で自分たちの身を守ることしか考えていないのだろうし、「なぜ、よりによって私が担当しているときに……」とグチのひとつさえこぼしているかもしれない。

振り返れば、これと似たような少年少女の自殺事件はこれまで何度もあった。そして、そのたびに繰り返される学校や教育委員会の遺族を馬鹿にしているとしか思えない態度。

起きてしまったことは、もう取り返しがつかない。ならば二度とこういう悲劇を残さないためにすることが大切なのに。

明日は沖縄を離れ、北海道に向かう予定。

故郷、滝川へ戻り、この問題を取材するつもりだ。


中学退学者 [教育]

この数年、東京では私立中学の退学者が急増しているらしい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050315-00000011-mai-soci

しかも、転入先となる公立中学校では「教育活動に支障が出る」と都や私立学校協会などに文句を言っているという。

支障とは一体何だろう?

統計によれば、昨年4~12月上旬の間に私立から都内の公立へ転入した中学生の数は359人。だが、東京都内にある公立中学の数は653校(平成16年度)とこちらのほうが多い。1校あたり約0.55人というデータは果たして支障を及ぼすものなのか?

それでいったら毎年50人や100人といった生徒を転編入で受け入れている私の母校はどうするんだろう。先の言葉を基準にするなら、よくて学校閉鎖、悪くても学校閉鎖だ(苦笑)。

でも、問題は山積みながら生徒も学校もなんとかやっている。
それを「できない」という都の公立中学に、退学者を出す私立中学。個人的には「どっちもどっち」ってところ。要は学校や教師が対応しきれない、ということなのだろう。

これじゃあ学校に期待できない、と言われても仕方ない。
中学じゃないけど退学経験者からしてみりゃ不安。こういう学校には行きたくないなぁ。

だから、今度横浜市の教育委員になるかもしれない母校の先輩、義家先生には生徒のことを第一に考えてモノを言ってほしい。神奈川県も私立中学が多いから今回と同じ現象が起きているはず。それにいろいろ大変な若者が多いのでは。かの“夜回り先生”こと水谷修氏も夜回りを行うのは横浜だし。

そういえば横浜市の中田市長は以前、夕刊F紙に毎週コラムを載せていたが、一時期その隣に自分の連載記事が載っていたことがある。さすがに風俗などエロ系ではなかったが、どちらかといえば生活情報系の内容。「俺の記事と同じページでいいのかな?」などと勝手に恐縮していた覚えがあったなぁ。まあ、義家先生を任命しようとするくらいだから市長にもぜひ頑張ってほしいものだ。

ただし、曙町の風俗店(許可店)を浄取り潰されちゃ困るけど。
ちなみに遊べなくなるから困るわけではなく、取材できる店が減ると仕事的に不便になるので。

えっ、言い訳がましいって?
一応、女性読者もいるので、そういうコトにしておいて。
それに横浜ではそういう店に取材以外では行きません!

なんか自分の首を絞めている発言のような気がするけど……。


我が母校を憂う [教育]

今日はちょっと真面目な内容。

先日、自分が通っていた高校のある先生が今年度いっぱいでの辞職を発表した。

北星学園余市高校、義家弘介教諭。
俗に“ヤンキー先生”と呼ばれていた人物である。

元不良で高校中退経験を持つ義家先生は同校のOB。教育に真っ直ぐなまでの情熱を注ぎ、生徒にも大変慕われている。

だが、著書のドラマ化・映画化や講演などで自身が注目されたため、そういった彼の活動を快く思っていない人もいたのも事実。それが誹謗や中傷といった残念な形で現れてしまった。

ただし、仮に批判しても「もっと現場の生徒たちを見てほしい」という意見は間違っていないと思う。でも、義家先生の活動も普通の教師ではできない。どちらが正義で悪といった類のものではない。こういった内容の批判と印税や副収入についてのねたみのような中傷は同列で語られるべきではないだろう。

一番の問題はこれがOBや生徒の父兄など学校関係者の口から出たこと。
03年に北星余市を舞台にしたドラマ「ヤンキー母校へ帰る」が放映された際も「あれは現実とは違う」、「嘘っぱちだ」といった厳しい意見をよく耳にした。

当たり前である。あれはドラマであってドキュメントではない。物語のベースにはなっているし、エッセンスは多分に入っているが、あれをイコール北星余市として見るのはどうかと思う。それも実際の学校を知っている人たちが、だ。

自分は少なくともドラマとしては素直に作品だったと思う。
(物語中盤からちょっと?みたいな展開だったけど)

学校関係者であっても「あれはドラマだから」みたいな客観的な視点で見られなかったのだろう。確かに、いろいろな弊害が発生したのは否定できない。とはいえ集団大麻騒動で激減した生徒数は回復したし、再び学校の存在も認知された。それなのに「恩返し」として自ら広告塔をかって出てくれた義家先生に対するあまりにひどり仕打ち。卒業生として、教育実習生だが一度は北星余市の教壇に立った者として言わせてもらうなら、あまりにも悲しい。

同時にマスコミ人としての自分にも大きな憤りを感じてならない。あくまで現場のいち教師にすぎない義家先生をスーパー教師として扱いすぎたのではないだろうか。

実は、ドラマ放映時期に週刊Sというメジャー誌のロングインタビューコーナーで取材をしたことがあるのだが、それ以前からマスコミは過熱化しており、こうなることは予想できた。本来、北星余市の教師たちは個性の強い人ばかりだが、スタンドプレーには決して走らず、集団として機能している。ゆえにかつては1人の教師にスポットが当たることはなく、ドキュメント番組でも複数の教師にスポットが当てられていた。

北星余市のマスコミへの対応は極めてよかったが、ここ数年の報道で大きな不信感を与えてしまったことは否めない。私個人の問題ではないかもしれないが、少なくとも一端は担っているはずだ。

取材のあり方、そして報道されることでのさまざま影響、いろいろな事を考えさせられた。

義家先生には今後もひたむきなまでの情熱でぜひ突っ走ってほしいと思う。

でも、その前にゆっくりと休んでいただきたい。走るにしても助走なり、準備が必要なのだから。


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